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機密の生活

なぜ正教会の聖堂はイコンで満ちているのか

刻んだ像を禁じる誡命は真剣な異論であり、肩をすくめて済ませるのではなく、真剣な答えを受けるに値します。

更新 2026-09-23 · 9 分で読めます

この記事は英語で書かれ、翻訳されたものです。意味の取りにくい箇所は、英語の原文を正とします。

要点

正教会の聖堂がイコン(聖像)で満ちているのは、目に見えない神がイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)において目に見えるものとなられ、見られたものは描きうると正教徒が信じているからです。第七全地公会(787年、第二ニケヤ公会議)は聖像を許し、慎重な一線を引きました――イコンは尊敬と崇敬を受けるが、厳密な意味での礼拝は神おひとりに属する、と。イコンに接吻することは写真に口づけるのと同じ挨拶であり、その敬いは、描かれているその方へと渡ってゆきます。

訪問者がまず目にするもの

最初の印象は、顔、です。正教会の聖堂には空白の壁がほとんどありません。会衆と宝座(祭壇)のあいだには描かれた板の障壁が立ち、聖堂の身廊にはさらに多くの板が台の上に据えられ、天井もたいてい塞がっています。その前では真鍮の砂箱に立てられたろうそくが燃えています。人々は入ってきて、十字を画き、身をかがめ、板に接吻します。誰も新参者にこれを説明しません。それとともに育った人にとって、説明すべきことは何もないからです。

改革派、福音派、無教派の背景から来られた訪問者は、しばしばある特定の聖句を念頭に置いて来られますし、そうするのは正しいことです。第二の誡命は、困らせるために引っぱり出された些末な異論ではありません。それは十誡の中にあり、力強く述べられており、聖書を真剣に受け取るキリスト教徒は、それについて問わずにいられません。この記事は、その問いを払いのけるのではなく、それにふさわしい答えを与えようとするものです。

誡命を、全体として読む

本文ははっきりしています。「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」(出エジプト20:4-5)。これだけを読めば、この問題は決着しているように見えますし、正教会の立場についてのどんな誠実な説明も、この節が不明瞭であるかのように装って始めることはできません。

これを複雑にするのは、同じ律法の残りの部分です。数章あとで、神はモイセイ(モーセ)に、贖いの座のために金の智天使(ヘルビム)を二つ造り、翼を広げて互いに向かい合わせるよう命じられます(出エジプト25:18-20)。ソロモンの神殿は、至るところに智天使と棕櫚と咲いた花が彫られていました(列王記上6:29)。荒野でモイセイは、青銅の蛇を造って竿の上に掲げ、咬まれた者がそれを仰いで生きるようにせよと告げられました(民数記21:8-9)。

とはいえ、これで議論が反対方向に決着するわけでもありません。幾世紀ものち、エゼキヤ(ヒゼキヤ)はまさにその青銅の蛇を打ち砕きました。イズライリ(イスラエル)がそれに香を焚き始めていたからです(列王記下18:4)。つまり聖書は、像を造るよう命じると同時に、像が破壊されたことも記録しているのです。この誡命は彫ることの禁止ではありません。造られたものに、造り主に属するものを与えることの禁止です。真の問いは、像が何のためにあるのか、そしてその前で何が行われているのか、です。

藉身が変えたこと

正教会の答えは、芸術についてではなく、ハリストスについての一つの主張を軸にしています。「そして言は肉となって、わたしたちの間に宿った」(ヨハネ1:14)。使徒パウェル(パウロ)はハリストスを「見えない神の姿(かたち)」と呼びます(コロサイ1:15)。使徒イオアン(ヨハネ)は第一の手紙を、意図的に身体的な列挙で始めます――わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見つめたもの、そして手で触れたもの。

論争のさなかの八世紀に書いた聖イオアン・ダマスキン(ダマスコのヨハネ)は、議論を二段階で組み立てました。まず彼は異論を全面的に認めます。「見えず、体を持たず、限りなく、形を持たない神を、誰が模して描くことができようか。したがって神性に形を与えることは、愚かさと不敬虔の極みである」。だからこそ律法のもとでは神の像が稀だったのだ、と彼は言います。そして転回が来ます――神が「我らの救いのために真に人となられ」、地上に生き、見られたのちには、見られたものは記録されうるのだ、と(An Exposition of the Orthodox Faith『正教信仰の解説』第4巻第16章)。

ですから正教会の立場は、第二の誡命が廃止されたというものではありません。人間には誰一人考え出せなかったその似姿を、神御自身が与えてくださったのだ、というものです。ハリストスを描くキリスト教徒は、神性を想像しているのではありません。ワィフレエム(ベツレヘム)に生まれ、ポンティ・ピラト(ポンティオ・ピラト)のもとで十字架につけられた一人の人を描いているのです。だからこそ東方では、イコンの問いはつねに、藉身が現実であったかどうかについての問いとして扱われてきました。

教会がそれをめぐって争った一世紀

この争いは静かなものではありませんでした。七二六年頃から皇帝レオン三世は公共の場所から聖像を取り除き始め、続く一世紀のほとんどのあいだ、帝国の政策は聖像に反するものでした。イコンを擁護した修道士や主教たちは職を奪われ、流謫に処され、殺された者もいます。七五四年、ヒエリアに集まった大規模な教会会議が聖像を造ること自体を断罪し、その支持者たちは、自分たちは教会を偶像礼拝から清めているのだと信じていました。

イコンを擁護した人々は、ハリストス論の地平から反論しました。もしハリストスが描かれえないのなら、その人性が完全でないか、さもなければその神性が人性と混同されているかのどちらかだ、と彼らは言いました。この議論は数十年にわたって続き、双方に人命の犠牲を強いました。

七八七年、女帝イリニ(エイレネ)と総主教タラシイ(タラシオス)はニケヤに公会議を召集しました。正教会はこれを第七全地公会と数えます。聖像破壊は八一五年にレオン五世のもとで復活し、八四三年、女帝フェオドラ(テオドラ)と総主教メフォディ(メトディオス)が聖像を回復させたことによって、最終的に終わりました。この回復は今も、大斎(おおものいみ、四旬斎)の第一主日に「正教勝利の主日」として記憶されており、その日、小教区は自分たちのイコンを掲げて十字行を行います。

第七全地公会が実際に定義したこと

この公会議は、単にイコンが許されると述べたのではありません。文書のうえで一つの区別を立てたのであり、その区別こそが問題の核心です。ハリストス、生神女(しょうしんじょ、神を生みし者、テオトコス)、天使たち、聖人たちの聖像は聖堂にも家にも掲げられるべきであり、「これらには、ふさわしい挨拶と、敬いをこめた崇敬」――ギリシャ語では timetike proskynesis(ティメティケ・プロスキネシス)――「が献げられるべきである。ただしそれは、神性にのみ属する信仰の真の礼拝(latreia、ラトレイア)ではない」。

その根拠は、四世紀前に大ワシリイ(大バシレイオス)が述べていた原則です。「像に献げられる敬いは、その像が表しているものへと渡ってゆく。そして像を敬う者は、そのうちに、表されている当のものを敬っているのである」。イコンは終着点ではありません。それに献げられたものは何であれ、先へ進んでゆくのです。

ニケヤはまた、誡命を注意深く読むことによって、聖書からの異論に直接答えました。公会議は、聖書が崇敬は神に献げられるべきだと言うとき、「のみ」という語を加えていないことを指摘します。ギリシャ語のこの語は、友人同士のお辞儀から神の前にひれ伏すことまで、あらゆるものを覆うからです。ところが「仕えること」に関しては、本文はその制限を確かに加えています。「あなたは彼にのみ仕えよ」と公会議は引用し、「なぜなら、我らがラトリア(礼拝)を献げるのは神にのみだからである」と述べます。これを確かめたい読者は、公会議自身の言葉を英訳で読むことができます。リンクは下に挙げてあります。

イコンに接吻するとき、人は何をしているのか

しばらく神学を脇に置いて、実際に何が起きているかを見てみましょう。一人の女性が通りから入ってきて、買い物袋を置き、十字を画き、身をかがめ、描かれた板の隅に接吻します。彼女は、空港で母親に対してするのと同じことをしているのです。公会議自身もこの点を指摘し、ギリシャ語の動詞が「挨拶する」と「接吻する」の両方を意味することに触れ、ダヴィド(ダビデ)がイオナファン(ヨナタン)の前にひれ伏して接吻したことを引いています(サムエル記上20:41。公会議の本文ではギリシャ語聖書の章節番号で引かれています)。

何が起きていないかも、同じだけ述べておく値打ちがあります。木が聞くことができると信じている人は誰もいません。板は木であり、絵具は卵で練られた顔料であり、イコンが壊されても聖人が傷つくわけではありません。イコンは出会いの場であって、住まいではありません。いちばん身近なたとえは、寡婦が寝台のかたわらに置き、通りすがりに手で触れる写真でしょう。もっともそのたとえは不完全です。教会は感情以上のものを主張しているからです――その敬いは現に当の方へ届くのであり、聖人たちは生きていて祈っている、と。

実際には所作は単純ですし、訪問者はそのどれも行わなくてかまいません。正教徒は十字を二度画き、イコンに接吻し――慣習として、顔ではなく手や足、あるいは衣の裾に接吻します――そしてもう一度十字を画きます。ろうそくは小さな献げものとして灯され、祈りが燃え続けるものとして残されます。新参者が加わるかどうかを見張っている人は誰もいません。

この異論が今もなお力を持つところ

誡命が名指すあの危険が正教徒の生活に一度も触れたことがない、という印象を残すのは不誠実でしょう。それは触れてきました。特定のイコンをお守りのように、あるいは灯明を保険のように扱う人は現にいますし、教会自身の修徳的な著述家たちは、何世紀にもわたってそれを率直に指摘してきました。自身も改宗者であったセラフィム・ローズ神父は、宗教の外面一般について、ここにそのまま当てはまる仕方で述べています。

外面的なものは何であれ……偽物となりうる。

セラフィム・ローズ神父、修道司祭ダマスキン著 Father Seraphim Rose: His Life and Works(『セラフィム・ローズ神父――その生涯と著作』)第63章(St. Herman Press、2003年)より引用

教会が自らに当てる試金石

その歯止めは公会議が名指したものであり、しかも検証可能です。正教会の聖堂で何が語られているかを聞き、誰に向かって語られているかに注意してください。ハリストスのイコンの前での祈りは、ハリストスに向けられています。聖人のイコンの前での祈りは、その聖人にハリストスへ祈ってくださいと願うものであり、それは人が友人に自分のために祈ってくれと頼むときとまったく同じ文法です。正教会のどの祈りも絵に向けられてはいませんし、正教会のどの奉神礼も、絵を何かの源として扱ってはいません。

これは訪問者が、信用するのではなく自分で確かめられる主張です。徹夜祷の後ろに立ち、本文を追い、語られていることがここに書かれていることと一致するかどうかを見てください。もし特定の人において言葉と所作が食い違うことがあれば、その落ち度はその人にあるのであり、教会はそうでないふりをしたことがありません。

戸口に立って

第二の誡命への畏敬から壁を何もないままに保ってきた伝統から来られたのなら、ここには何一つあなたへの告発はありません。その畏敬は小さなことではありませんし、正教会も同じ心配をめぐって一世紀を争いに費やしました。正教会が異なる結論に至ったのは一点においてです――神が肉を取られたとき、御自身を描きうるものとされたのだ、そしてイコンの擁護者たちは、像を拒むことは、どこまでも突き詰めれば、その肉の現実性を疑わしくしてしまうと考えたのです。これが正教会の筋道であり、押しつけるためではなく、量っていただくために述べています。

もう一つ言っておくべきことがあります。それは読者についてではなく、私たち自身についてです。イコンをめぐる議論はしばしば、始まる前に敗れています。見知らぬ人がまず出会うのは神学ではなく、その絵の下に立っている人々だからです。一九八〇年、ある求道者に宛てて書いたセラフィム・ローズ神父は、小教区が引き受けるべきところに責任を置きました。当教会としては、この言葉を誰かに向けて引くよりも、自らに向けて引きたいと思います。

おそらくそれは我々の落ち度なのだ。彼らに理解できるような仕方で正教の信仰を生き、また教えてこなかったという。

セラフィム・ローズ神父、1980年11月27日の書簡。修道司祭ダマスキン著 Father Seraphim Rose: His Life and Works(『セラフィム・ローズ神父――その生涯と著作』)第84章(St. Herman Press、2003年)より引用

よくある質問

正教徒はイコンを礼拝しているのですか。

いいえ。七八七年の第七全地公会は、その違いを文書で定義しました――イコンは挨拶と敬いをこめた崇敬を受けるが、厳密な意味での礼拝である latreia(ラトレイア)は神おひとりに属する、と。公会議はこれを、像に献げられた敬いは表されている当の方へ渡ってゆくという原則に基づけました。実際、正教会の祈りはハリストスに向けられるか、聖人にハリストスへ祈ってくださいと願うものであり、絵に向けられたものは一つもありません。

正教徒は第二の誡命にどう答えるのですか。

それを真剣に受け取り、律法の残りの部分と並べて読むことによってです。刻んだ像を禁じられたその同じ神が、贖いの座の金の智天使、ソロモンの神殿の彫られた智天使、そして青銅の蛇を命じられました。禁じられているのは、造られたものに造り主に属するものを与えることです。正教会はそこに、ハリストスにおいて目に見えない神が目に見えるものとなられ、誰も考え出せなかった似姿が今や存在するのだ、と付け加えます。

正教徒がイコンに接吻するとき、何をしているのですか。

誰かに挨拶しているのです。第七全地公会が用いたギリシャ語は「挨拶する」と「接吻する」の両方を意味し、公会議はダヴィドがイオナファンに接吻したことを引いています。この所作は人が家族に対してするものです――お辞儀、手や足や衣の裾への接吻、そして十字を画くこと。木が聞くと思っている人はいません。その敬いは、イコンが示している当の方へ渡ってゆくと理解されています。

聖像破壊論争とは何ですか。

七二六年頃、皇帝レオン三世のもとで始まった、キリスト教の聖像は偶像礼拝かどうかをめぐるビザンティン帝国内の争いです。イコンは取り除かれ、擁護者は迫害されました。七五四年にはヒエリアの教会会議が聖像を断罪しました。七八七年、ニケヤの第七全地公会がそれを許しました。聖像破壊は八一五年に復活し、八四三年、女帝フェオドラのもとで終わりました。この出来事は今も大斎第一主日に「正教勝利の主日」として守られています。

イコンは必要なものですか、それとも伝統的な装飾にすぎませんか。

正教会はイコンを、任意の装飾としても、それ自体を信心の対象としても扱いません。イコンは藉身の帰結として、また教えとして扱われます。公会議は、誰もが字を読めるわけではないこと、そして聖像は福音の出来事を人々の目の届くところに置くことを指摘しました。イコンのない聖堂が無効になるわけではありませんが、それは正教会があえて述べないことにしてきた何かを述べてしまうことになるでしょう。

イコンを崇敬しなくても訪問できますか。

はい、そうされる方も多くいます。正教会の奉神礼は公のものであり、十字を画くことも、何かに接吻することも、ろうそくを灯すことも求められません。後ろに静かに立っているのはまったく普通のことです。領聖は備えをした正教徒に限られますが、奉神礼のそれ以外のすべては、そこにいたいと望むどなたにも開かれています。そのあとの質問も歓迎ですし、小教区の聖職者は、問われないままにされるより答えたいと思っています。

出典とさらに読むために

  1. 第二ニケヤ公会議(787年)――決議と定義 — Nicene and Post-Nicene Fathers 叢書の英訳。ラトリアとは区別される「挨拶と敬いをこめた崇敬」についての定義を含む。
  2. 聖イオアン・ダマスキン『正教信仰の解説』第4巻第16章「聖像について」 — 神そのものを描くことの不可能性と、藉身が変えたことについての、上に引用した箇所。
  3. イコンFAQ(Orthodox Christian Information Center) — イコンとその用い方、よくある誤解についての実際的な質疑応答のページ。
  4. イコン――正教の信仰(アメリカ正教会/OCA) — 聖堂建築の中のイコンについての、短い教理解説。
  5. 「正教勝利の主日と聖像」(OrthoChristian) — 八四三年、女帝フェオドラと総主教メフォディのもとでの聖像の回復について。大斎第一主日に守られる。
  6. 修道司祭ダマスキン『Father Seraphim Rose: His Life and Works』第63章「Super-Correctness」 — アラスカの聖ゲルマン兄弟会の許可を得て全文転載。外面的なものが偽物となりうるという言葉の出典。
  7. 修道司祭ダマスキン『Father Seraphim Rose: His Life and Works』第84章「Pastoral Guidance」 — 本記事の末尾で引用した1980年11月27日の書簡を含む。
  8. 生神女就寝聖堂(シンガポール) — 見に来たいと思われる方のための、奉神礼の時間と連絡先。

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